堀淳一さんと巡る堀の旅


女堀を歩く旅

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 3月31日に堀淳一さんの主催するコンターサークルの例会として企画された「女堀を歩く」旅に便乗して、パソコン通信ニフティサーブの山の展望と地図のフォーラムFYAMAPで、参加者を募って実現した『堀淳一さんと巡る堀の旅』の様子です。


・女堀(おんなぼり)とは?

 12世紀頃、赤城山南麓の水の乏しかった地域に、利根川の上流から水を引こうとして 大規模な土木工事を行ったが、勾配がゆるやかなため通水に失敗して放置された堀の遺構。 第二次世界大戦後に開墾されたり、水田の圃場整備により一部を残して消失していきました。

・女堀の位置

 参謀本部陸軍部測量局 明治十八年測図同二十年製版 二万分一迅速図「大胡町」 (第一軍管地方迅速測図 桐生近傍廿五号)
 国土地理院 平成元年8月1日発行 二万五千分一地形図「大胡」
(宇都宮14号‐2)
写真 1 女堀跡の池を背景に記念撮影
     左 美馬さん 中央 筆者 右 堀先生 撮影 溝畑 茂治氏

 写真2 休耕田となった女堀跡
     周囲より一段低くなっている。地図で見ると植生界の違いで区別されている。
    (撮影 溝畑 茂治氏)


・その他の「女堀」

 「女堀」は特定の用水路の固有名詞というより、古くから役に立たない、水の出ない堀という意味で、廃溝を意味します。 その他の所在地  群馬県   総社町・岩神町・天川原町・上小出〜下小出・西善〜両家   伊勢崎市 西太田・上之宮、茂呂〜境町上武士  埼玉県   児玉郡神川村関口・本庄市北堀・川越市霞ヶ関・東松原市  東京都   大田区西領町〜鵜の木  長野県   上田市 (峰岸 純夫著「女堀の謎を解く」より一部要約)  現地の様子など御存知の方、お知らせ下さい。


|元のページへ..| First issue Jun.23, 1996.
Updated Nov.12 1996