師橋辰夫会長御逝去


師橋辰夫会長御逝去

 日本古地図学会師橋辰夫会長が6月4日朝、御逝去されました。
師橋会長は、昨年10月にご病気のため入院され、その後5月9日の
日本古地図学会第2回総会では「初三郎の鳥瞰図」について講演されるまで
回復され、6月1日には、国土地理院で「一世紀を見通した明治政府の決断」と
題する講演される予定でしたが、前週より病状が悪化し永遠の眠りにつかれました。
師橋会長のご冥福をお祈りいたします。
 告別式は、6月6日(金)午後1時より本願寺和田堀廟所(京王線明大前駅下車)
で行われます。

会長 師橋辰夫氏 告別の辞

 日本古地図学会会長 師橋辰夫氏は去る6月4日に永久の眠りにつかれました。まだ
67歳の若さでした。昨年病気のため入院され手術されましたが、本年4月には株式会
社電通本社の講堂で「初三郎の鳥瞰図」と題して約1時間余りにわたってスライド百枚
余りを使用しながら大変お元気に講演され、私達も元気な活動を見ることが出来安心
しておりました。しかしこの5月10日の小石川後楽園の涵徳亭での日本古地図学会の
第2回通常総会の後の講演会で「初三郎の鳥瞰図」についてお話いただいたのです
が、電通でのお話とは違い初三郎がどのような「鳥瞰図」を描いたにか、またその時々
のエピソードなどを交えながらお話しいただきました。しかしその時のお話しは椅子に
座ったままで、電通の時とは異なり、大変痛々しく声も小さくいつもの元気さがないのを
気にしておりました。当日は奥様がおつきになっており、講演だけでお帰りになられま
した。そして6月4日に訃報をお聞きしたのです。
 会長は麻布中学・高等学校の卒業生で、長い間税務署にお務めになっていらしゃっ
たとのこと、その後税理士として独立し現在に至ったとのことですが、地図については
いつ頃から関心を持たれたか聞くことを忘れていました。税務署にお務めの際にお集
めになっていたことは伺えます。四ッ谷駅近くの事務所には税務関係の図書は見当た
らず、本箱・本棚はもとより床は勿論、窓際など地図や参考書であふれ足の踏み場も
ないほどです。会長のお仕事で最も大きなことは、昭和45年(1970年)3月1日から
「月刊 古地図研究」の発行であったことです。毎月原稿を集めたり、またご自分で書か
れたり大変なお力を注がれたことが伺えます。本当に御苦労様でした。100号そして
200号発行の際には記念号として論文集をも発行しました。日本はもとより海外の大学
図書館にも贈られ好評を得ております。現在300号をもって発行を打ち切り「日本地図
資料協会」を「日本古地図学会」に発展させることになり、平成7年に慶應大学の講堂
で学会の発足を致しました。そこで初代会長に師橋辰夫氏を推挙したことです。本年
は小石川後楽園の涵徳亭で第2回の定期総会を開き、その後研究会の講演として前
期のようにお話頂いたのです。
 会長の研究は「月刊 古地図研究」を見ましても最初は日本の地形図についてのもの
が多かったのですが、江戸図や地方図・日本図をはじめヨーロッパの世界図などにも
大いなる関心を持ち奈良県の天理大学の図書館や神戸市の博物館、京都大学の地
理教室にも出掛けられ会員の皆さんに懇切な説明をされていました。とにかく非常に
幅が広く地図ばかりでなく、先に述べたように初三郎の鳥瞰図についても初期の頃か
ら晩年の頃まで1千2百種以上の目録を作成するまでに集めておられたのです。あと
十数日あれば、その論文が書けたのであろうと思うと甚だ残念に思います。とにかく会
長は地図ばかりでなく地図周辺の事情についても関心を持たれいて、それは最初に
述べたように吉田初三郎の発表にも現れていると思います。とにかく余りに早いあの世
逝きでした。   合掌
                                      副会長 中村 宗敏
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First issue 04 Jul.1997
24 Jul.1997(Rev1.0)会長師橋辰夫氏告別の辞追加