古代官道跡の直線道路・直線町境を歩く


古代官道跡の直線道路・直線町境を歩く

Tou-Zan-Dou

 96年11月2日にコンターサークル東日本支部の例会として企画された
「古代官道跡の直線道路・直線町境を歩く」旅の様子です。



古代官道跡とは?

 奈良時代の律令体制ができ、中央集権化の一つとして、平安京のある奈良の都と 地方を結ぶ幹線道路として整備されたものです。 平成元年に広域農道が建設されることになり発掘調査が実施され、両側に側溝の ある道幅6mの立派な直線道路が確認され、都を起点とし近江―美濃―飛騨―信濃 ―上野―下野―陸奥を通り出羽に抜ける『東山道』の一部であることが分かりました。 (南那須町作成 案内板より抜粋)

・『東山道』の位置

栃木県の東部、「高根沢町」−「氏家町」−「南那須町」−「喜連川(きつれがわ)町」 の直線境界として地図上に記録されています。
拡大図
 国土地理院 平成3年8月1日発行 二万五千分一地形図「喜連川」
(白河16号‐4)

写真 1 草に埋もれた『東山道』跡を行く
  台地から谷に降りる地点では、勾配を一定にするため「切りとおし」になっている。

  写真2 古代の直線ハイウェイ
  谷を下りきったところ、現在は農道になっている。

  写真3 「南那須町」−「喜連川町」間の直線境界
荒川の堤防から直線境界を望む(左「南那須町」 右「喜連川町」)
 道は、正面の丘を越えて続いている。

・『東山道』の謎?

『東山道』は、白河の関から陸奥の多賀城に向かっていました。 荒川を越えた先の「南那須町」−「喜連川町」間の直線境界の終点から先のルートは、 謎につつまれています。   『東山道』の謎について、御存知の方、お知らせ下さい。


  堀淳一さんとの旅は、また来年行う予定です。
 詳細が決まりましたら山の展望と地図のフォーラムFYAMAP地図の広場で、参加者を募集します。

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First issue Nov.12 1996