江戸時代から昭和初期にかけて、庶民の間で富士山を信仰の対象とする富士講がいくつも組織されました。 富士塚は富士山に登ることが容易でなかった時代に、誰もが気軽に富士山に登れるようにと、 神社の境内などに築いたミニュチュア富士山です。 殆どの富士講が消滅しましたが、中には現在も活動が続いているものもあります。
富士塚の分布は、富士山の可視エリア(富士山の見える範囲)と関連があり、 各地に住む会員がパソコン通信で協力しながら、過去の調査報告や、地元の富士塚を調べ、 富士塚が東京、神奈川、千葉、埼玉に250ヶ所以上も広く分布することが分かりました。 (茨城、栃木、群馬は現在も調査中) カシミールによる分布図
参考文献 岩科小一郎『七富士』アルプ124号/1968年6月号 平野栄次『東京都の富士塚』 三浦家吉『滅びゆく 富士講と富士塚』 1975(甲文堂出版部) 日本常民文化研究所『富士講と富士塚』 1978 藤森照信、荒俣宏 『東京路上博物誌』1987(鹿島出版) 『江戸川区の文化財』 江戸川区教育委員会 1994 『足立区の文化財』 足立区教育委員会 1994 手島宗太郎『江戸東京百名山を行く』1995(日本テレビ発行) 『嘉永・慶応 江戸切絵図復刻版』(人文社)
|ホームページへ..
First issue Dec.4 1996(Rev.0)
Jan.29 1997(Rev0.1) リンク追加
Apr.28 1997(Rev0.2) 構成見直し
May.1 1997(Rev0.3) 埼玉の富士塚追加
May.3 1997(Rev0.4) 千葉の富士塚追加、富士塚分布図追加